所有することの幸不幸 |
10ヶ月になる孫娘のおもちゃ箱は、小さなプラスチック製の箱から、いつしかアマゾンの段ボール箱になっている。買ってもらったのはクリスマスプレゼントの木の楽器おもちゃやパズルおもちゃなどで、絵本やぬいぐるみなどは貰い物。他は手製の木のおもちゃは別にして、菓子袋、ヤクルトのプラケース、海苔の空き缶、ダンボールの筒、ペットボトルなどゴミとして捨てるようなものが結構お気に入りだったりするので面白い。
そんなおもちゃを散らかして遊んでいる孫娘を観察していると、10ヶ月にしていっぱしの財産持ちのように思えてくる。所有欲はまだ無いようだし、自分のものだという自覚もまだ無いようだが、どうなのだろうか。
テレビを観ていたら、とげぬき地蔵で有名な巣鴨駅近くに松の大枝が張り出した私道があって、通行人の大迷惑になっている番組をやっていた。その家の70歳前後のオヤジさんが自分の敷地に生えている松の木だから切らせないそうで、枝は反対側に建設中のアパートの敷地まで伸びていた。家の中から通行人を見張っているようで、文句を言いに出てきては引っ込む暮らしをしている。老後は植物観賞しながら暮らすつもりだったと言うこの人は、私道の所有欲に振り回されて心安らぐ時はないのではなかろうか。松の木は自然に生えてきたそうで、それならさっぱり切ればいいと思うのですが、この人は私道を主張する道具に使うことに決めたようで、協調性のない狭量な人間が、なまじっか私道を所有したがための不幸です。テレビを観ながら通行人もそのオヤジさんも気の毒になったのです。
孫娘が空のペットボトルで遊んでいるので、お水ちょうだいと言うと、ペットボトルを口元に差し出します。10ヶ月の赤ん坊でも分け与えることは知っています。美味しいねと言うと、孫娘は後ろ手にペッボトルを放り投げます。瞬間的に興味は別のものに移っていきます。所有欲はまったく無い様です。