先日、丸沼高原の「蕎麦一筋その道三十八年」の看板を掲げる蕎麦屋に入りました。立ちより温泉に併設した蕎麦屋で、期待せずに試すつもりで店に入ったのです。すると温泉の老いた女番頭が蕎麦屋の店主で、どうやら一人で切り盛りしているようでした。食べるつもりだった天ざるがメニューにないので、食す前にすでに期待はしぼんでいて、注文したきつね蕎麦はぬるめで味も普通で化かされたかのようでした。看板倒れはどこでもありますが、蕎麦一筋その道三十八年はなかろうばいという気持ちでした。で、なんでまた蕎麦の話かといえば、ネットで昔の蕎麦屋の写真を見たからなのです。昭和初期、戦前、戦後の蕎麦屋さんの自転車出前写真です。
どうです。丼とせいろをエンパイアステートビルのように高層に積み上げて、片手で自転車をこいでいます。重ねた丼の上にせいろを重ねてまた丼を置いてその上にせいろを重ねる。最上階にはそばつゆでしょうか。経験から導き出された高度な積み上げ技だと解ります。蕎麦を打って茹でて盛って積んで担いでこいで降ろしてお客に届ける…。100人分の出前を載せていたそうですからまるで曲芸師の様で凄いですね。これぞその道一筋と言っても過ぎることはない艶姿でございます。囲んでいる子供でなくてもカックイー!と叫びたくなります。
当時は「出前コンクール」も開催されていたそうで、出前は腕自慢の蕎麦屋の花道であったのでしょう。「できるもんならやってみな!」なんて、道行く人達が驚くのを面白がっていたのでしょう。昭和20年代、車社会になり出前事故が増えてくると、事故対策として蕎麦屋さんがバイクの荷台につける「出前機」を発明したそうです。それが全国に広まり、自転車片手運転の高層出前風景も姿を消してしまったようです。本当に残念ですが時代と共に移り変わるのが庶民の暮らしでもあります。
安全な「出前機」ですが、一度に100人分の出前は運べませんね。やはり自転車片手運転、高層出前職人にはかないません。こんな出前をする蕎麦屋の蕎麦を食べてみたかったです。さぞや旨くて、まさにその道三十八年とでも言いたくなるのではないでしょうか。
旨い盛り蕎麦で熱燗を一杯やりたくなりました。