どうもありがとう。ご苦労様でした。 |
母には叱られた記憶はほとんどない。母と口論になると屁理屈を言って呆れさせていた。あんたはああ言えばこう言う天邪鬼だと母は笑っていたな。
上京して電車の空席があると、離れたところに立っている人のところに行って、あそこが空いているから座りなさいと話しかけていた。そんげなことはせんでもいいと言うと、なんで?みたいな顔をした。まこつ世話やきだった。
漁協組合に勤めていた母は漁師さん達にも慕われていた。進水した漁船の名前を書いてあげたり、屋上から吊るす垂れ幕のデカイ文字も書いたり、とにかく達筆だった。葬式で曹洞宗の方丈さんも褒めてくれた。戒名には墨の字も入っているので母は気にいるはずだ。
母は故郷で弟夫婦と同居し、5人の孫達に囲まれ賑やかに暮らしていた。子煩悩で世話好きの母は幸せだったのだと思う。90歳で養護施設に入り、一昨年の夏頃から介護病院に移って頑張っていたのだが、先日、母は97歳で永眠した。母には感謝の気持ちしかない。ありがとう。ご苦労様でした。
高校を卒業後、母に連れられて日向のデパートに行き、ジャケットを買ってもらい、それを着て上京した。何故かその事が繰り返し思い出される。わたしも新しい旅立ちだということだろうか…。